お問い合わせはこちら

蔵人コディーの挑戦

酒造りに奮闘する米国人 -蔵人コディーの挑戦-

飛騨古川発、日本酒から世界酒へ

アメリカ合衆国に生まれ、NATA公認アスレチックトレーナーとして来日したブレイズフォード・コディー氏は日本酒に魅了され、ついには蔵人にまでなった。
コディーをとらえて離さない飛騨古川の酒“蓬莱”
コディー氏の存在は、日本酒の世界がこれからグローバル化へと向かう一つの象徴と言えるかもしれない。

日本酒に魅せられアスレチックトレーナーから蔵人へ

ブレイズフォード・コディー氏はユタ州の出身。
1991年にユタ州の高校を卒業後、ユタバレー州立大学を出て、さらにサンホセ州立大学でアスレチックトレーニングを専攻した。大学時代はフットボールの選手としても活躍。大学卒業後はサンフランシスコ州立大学、サムヒューストン大学に就職してアメフトチーム、バスケットチームのトレナーを務める一方、リハビリテーションの講師として教壇にも立った。公認アスレチックトレーナーや理学療法士の資格を持っている。

日本人女性と結婚して来日

日本へ来たのはユタバレー州立大学当時に知り合って結婚した飛騨高山市出身の妻、雅さんが2005年、高山市の高山西高校の英語教師として採用されたため「飛騨高山で一緒に生活したい」と、雅さんより約1年遅れて2006年6月に来日。

「当初、キャリアを生かせる職を探しました。けれども飛騨高山にはスポーツトレーナーの仕事なんて無かったのです(笑)」

飛騨高山といえば、全国でも日本酒の消費量が多い土地柄。ここでの出会いがコディーさんを日本酒の世界に引き込むきっかけとなった。

「友人に渡辺酒造のお酒を置いた店へ連れていってもらい、日本酒に目覚めました。渡辺酒造のお酒はどれも繊細で個性があり、それまでに飲んだものと同じお酒とはとうてい思えない。それまでは、お燗という飲み方が面白いなというほかは特に印象のなかった、日本酒の奥深さを実感しましたね。」

渡辺酒造では杜氏の元で酒造りに携わる蔵人と呼ばれる職人が欠員したため、求人広告を2006年10月初めごろタウン誌に掲載したところコディーさんが応募。蔵元の渡辺久憲氏は最初は戸惑ったが「酒造りを勉強したい」というコディーさんの熱心さに心を打たれたという。

「渡辺酒造を訪ねた時、酒造りの様子や酒蔵のたたずまいにも深く心を惹かれました。蔵元は若くて柔軟な考えの持ち主ですので、外国人の私を受け入れてくれたのだと思います」

伝統的な酒造りを経験、米国人初の蔵人となる

日本酒をその製造過程からごく簡単に説明すれば「米を酵母で発酵させて造る醸造酒」となる。
しかし、実際には発酵前の準備だけども、精米、洗米、タンクでの吸水、蒸米、米を冷ます放冷、麹づくりと、世界でも類のない複雑な工程を、米の種類・性質に合った形で行う必要がある。こうした日本酒造りの伝統を担ってきたのが、杜氏と呼ばれる職人集団だ。
彼らは秋から春まで酒造りの期間、蔵で寝食を共にし、早朝から深夜までほぼ一日の休みもなく働き続ける。また、杜氏の世界は伝統的に厳しい縦社会でもある。

「食事で箸をとるのも、お風呂の順番も、常にリーダーの杜氏が一番先。新入りの私は最後です。現場では役職名で呼び合うため、最初の半年ほどは一緒に働く人の名前もわかりませんでした。ただ、酒造りのチームはそういうものだと納得していたため、この部分では特につらいとは思いませんでしたね。でも酒蔵は寒くて驚きました」

1年目は蒸米や仕込み桶に櫂を入れる作業の連続だが、毎朝5時前には必ず出社。2年目には洗米から麹づくりなど酒造工程を一通り経験する。

「渡辺酒造はいわゆる伝統的な手造りの酒蔵です。体力的には確かに厳しいのですが、新しい仕事は何でもきついのが当たり前ですから、辞めようと思ったことは一度もないです。ただ、妻には、『疲れ切っていて、会話ができるような状態ではなかった』と後で言われました(笑)」

グローバル化に向かって変わりはじめた日本酒の世界

渡辺酒造では業界に先駆けて多様な試みが行われている。地元農家との契約栽培、酒造りが一段落する時期には蔵まつり、コンサート、陶芸講座などのイベントを酒蔵で実施。モンドセレクション最高金賞、iTQi国際品質機構首席優等賞など世界中のコンクールで受賞し、欧米への日本酒PRにも力を入れている。日本酒は国内市場では頭打ちといわれる一方、近年は米国を中心に海外での需要が急速に伸びている。

 「アメリカでは吟醸酒、純米吟醸酒が静かなブームです。今後日本酒に携わる人は、当然のように海外との接点が増えてくると思います。『日本酒から世界酒へ』が渡辺酒造のテーマですので、近い将来、渡辺酒造の伝道師として日本酒文化を世界へ広めていきたいです。」

日本酒の魅力に目覚め、酒造の世界に入って米国人初の蔵人となったコディー氏。しかし、外国人の入社を必ずしも喜ばない保守的な酒蔵で、仕事への真摯な姿勢と努力で周囲の信頼を勝ち得たのは、ほかならぬコディー氏自身だ。そしてコディー氏の日本酒造りに対する情熱こそ、その原動力となっているのである。